都並敏史に引退を決意させた稲本潤一

都並敏史に引退を決意させた稲本潤一

「狂気の左サイドバック」と呼ばれた元日本代表、都並敏史は1998年に引退している。
都並によると、1996年ごろからすでに自分の力が衰えを実感していたが、体力が衰えても読売クラブで培った駆け引きや頭を使ったプレーではまだ負けていないという自負があった。たとえば、相手と五分のボールを競り合う時、先に体を当てたり、少し遅れて体を当てたり、と駆け引きをし、体格や身体能力で負けていても競り勝つことができていた。

しかし、ガンバ大阪でデビューしたばかりの稲本潤一とマッチアップした際、都並がタイミングをずらそうとしても、稲本に読まれてしまい、当たろうとしてもタイミングをいなされ、先にボールに入らされてしまう。自信を持っていたポイントで若手に遅れをとり、引退を決意したという。

都並は、後に「稲本くんって大きいでしょ、うまいでしょ、速いでしょ、ファイトもあるでしょ、細かいテクニックもあるでしょ、しかも顔がいいときた!(笑)これは負けるなと。こういう選手が出てくると、ちょっとオレらは厳しいゾと。次世代の時代になったのかなぁって、ホントに思いましたね。それで『もうダメだな、今年だなぁ』と…」とその心境を語っている。

稲本はその後、ボール奪取と攻撃力にも優れるプレースタイルで、海外でも活躍する日本を代表するボランチとなった。

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